地域紹介
狭山池
狭山の地は羽曳野丘陵と泉北丘陵に取り囲まれた三角形の合地でこれが地名の由来です。
ここに流れ込む天野、今熊の両河川を塞き止めて築造されたのが「狭山池」で、我が国最古の灌漑用水池として知られ、古事記にもその築造の記述が見えます。
僧、行基や重源などもその改修に携わりました。
今は”平成の大改修”を経て治水ダムに変貌しています。
狭山池は、面積36ha、周囲約2.85km。府の史跡・名勝に指定ほか、「日本の歴史公園100選」「水の郷百選」「ため池百選」に認定されています。
府立狭山池博物館を含めた親水空間は、府民・市民の憩いの場として親しまれるとともに、
「桜まつり」「狭山池まつり」などで賑わいます。
毎月第4土曜日には、市民ボランティア自由参加による「狭山池クリーンアクション」(
狭山池まつり実行委員会主催)が実施され、美しい狭山池を未来に伝えてゆく活動が行われています。
天野街道・あまの街道
天野街道は泉北丘陵(陶器山丘陵)を尾根伝いに走り、南河内の名刹「天野山金剛寺」に通じる古道で、古代には
河内國と和泉國を分ける境界をなし、金剛寺からさらに南紀州の霊場「熊野」に通じる”信仰の道”でした。
また、陶器山の一帯は古代の須恵器の生産地として知られる「陶邑窯跡群」の一画にあたり、5~6世紀頃には千基
もの窯を数え、九州から関東、東北地方にまで製品を供給していました。
平成7年、10kmの天野街道の内、狭山ニュータウン沿いの3.5kmが遊歩道として整備、『歴史のみち・あまの街道』
と名付けられ、散歩やジョギング、ハイキング、早朝のラジオ体操広場など多くの人が行き交い、親しまれています。
陶器山とあまの街道ガイドマップ
三都神社
三都(さんと)神社の西尾根を通り、天野山から紀州熊野に至る街道に沿っているので、熊野神社とも呼ばれています。明治時代の神仏分離までは境内に金蔵寺があったといわれ、また近くにも光明院跡、西室院跡、地蔵院跡などの地名が残っていることから、現在の社殿付近から南部丘陵にかけての広い地域に伽藍と鎮守の社地があったと考えられています。 昭和58年の郷土資料館による文化財調査の際に見つかった毘沙門天像は鎌倉時代末期の作であることが判明し、このことからも金蔵寺繁栄の歴史を知ることができます。
初詣(除夜詣)の善男・善女。左奥は三都神社拝殿。
一石五輪塔
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